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20分钟
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41
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2年前
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简介...
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はい、皆さん、こんにちは、コアラ先生です。


今回のテーマは日本の タブーシリーズ 創価学会です。創価学会というと、日本で最もよく知られている宗教団体であり、身近に(みじかに)会員がいることもかなり多いと思います。


直接会員を受けたり、投票のお願いをされたことがある人もいるかもしれません。


なんとなく、熱量がすごいという印象はあるものの、どういった団体なのかということまでは知らない人が多いと思われ、宗教自体があまりポピュラーではない日本においては、あまり触れないほうがいいこと、というように捉えられているように感じます。


そこで、今回は、創価学会の誕生から現在に至るまでの歴史や、どういったことを信仰しているかという教義の面、そして、団体が抱えている問題などについて、解説していきたいと思いますので、ぜひ、最後まで見ていってください。


今回に限った話ではありませんが、当チャンネルで扱う内容は、外から確認できることを中心に、簡易的に纏めた解説になりますので、確定的な内容ではないということに、ご留意頂ければと思います。 それからこのチャンネルでは日々のニュースに纏わる(まつ)ことや、政治、経済の基本的な知識について、10分ぐらいで簡単に学べる動画を定期的に配信していますので、興味を持っていただけた方はぜひ、チャンネルを登録して、先生と一緒に学んでいきましょう。


ではまず、創価学会とは、どんな団体なのかという概要を手短に(てみじかに)確認していきます。


創価学会は仏教にルーツを持つ宗教法人で、明治以降に創設された新宗教の一つとみなされます。


公衆の会員世代数は827万世代とされ、実際にこの数字通りかどうかはともかくとして、日本


最大級のアクティブな信者数を誇る団体であることには、ほとんど異論はないと思われます。


政権与党である公明党が創価学会を強力な支持母体(ぼたい)とする政党であることもよく知られており、名実と共に、日本社会の一角(いっかく)を成す集団だと言えます。


あまり宗教が前面に出てこない日本において、信仰勢力である創価学会が、なぜここまでの勢力をもつに至ったなのか、まずは、その歴史を一気通貫で見ていきたいと思います。


創価学会の創設年は1930年であるとされていますが、設立当初の名称は『創価教育学会』であり、尋常(じんじょう)小学校の校長などを務めた教育者である、初代会長の牧口常三郎(まきぐちつねさぶろ)らが教育研究を目的として、設立した団体でした。


とは言え、宗教と無関係の組織だったわけではなく、牧口は創価教育学会を設立する数年前に、


仏教の一宗派である日蓮正宗に出会い、その教義に惹かれ(ひ)、入信しており、創価教育学会はこの教えを教育に活かすという性質を持っていたということで、1937には日蓮正宗に属する信徒団体となりました。


しかし、戦時下(せんじか)の思想、宗教の統制が強まる中で、牧口らは神社信徒を拒絶(きょぜつ)したことなどにより、投獄(とうごく)され、組織は壊滅、牧口は獄死(ごくし)します。


戦後、学会創設メンバーの一人である、戸田城聖(とだじょうせい)らが中心となり、組織が再建され、名称も創価学会へと変更しました。これが現在に直接繋がる団体です。


牧口の時代には、メンバーは教育者が中心で、研究や出版(しゅっぱん)が活動の柱(はしら)でしたが、戸田の時代には、信者中心の団体へと移り変わり、一般人の会員もどんどんと増えていきました。組織も整えられ、布教活動はさらに活発になり、非会員を説得して入信させる、『折伏』(しゃくぶく)の大規模な推進運動、折伏大行進などを実施し、急速に団体の規模を拡大させていきます。


一方で、強引(ごういん)な勧誘(かんゆう)が行われる場面も多数あったとされ、社会問題としても提起されるに至ります。


戸田の死後、第3代の会長となった池田大作(いけだだいさく)、現、創価学会名誉会長は、更なる信者獲得運動を推進し、いずれも公称の数ですが、会員数は1963までに360万世代、1970年頃までに700万世代を突破するなど、破竹(はちく)の勢いで信者を獲得していきました。


これらに並行して、団体の政治進出も進め、1961には団体内の文化部を基に、政治団体公明政治連盟(れんめい)を組織し、1964年にはこれを政党、公明党へと発展させ、翌年(よくねん)の参議院選挙では、11人もの当選者を出しました。


初期の活動の中では、選挙違反が相次ぎ、多数の末端会員が有罪判決を受けたこともあり、また、学会の批判を封じるよう、幹部から政界に働きかけるといったことが問題視されてきました。


こうした問題を対応して、学会と党の組織的な分離が行われていきました。70年代頃から、教義の解釈などにおいて、学会の独自路線もと言える動きが増え始め、本家(ほんけ)とも言える日蓮正宗との関係が悪化します。


一時は関係の改善も見られましたが、結局、決別(けつべつ)の運びとなり、1991年には、日蓮正宗は創価学会を破門(はもん)するに至ります。


お寺やお坊さんを持たない、一般信徒の団体であった創価学会は、それまで葬儀などの仏事(ぶつじ)の多くを日蓮正宗に依存しており、困った面はありましたが、友人葬や戒名不要という独自の教義解釈を見い出し、結果としてさならる脱皮(だっぴ)を遂げる(と)ことになりました。


ただこれまで、聖地(せいち)とされてきた、総本山大石寺(たいせきじ)を失ったことや、


伝統宗教とみなされる日蓮正宗との繋がりが断たれた(た)ことは、学会にとっては、


ただならぬ出来事であったのは間違いありません。


90年代は創価学会、公明党にとって、躍進(やくしん)の時代となりました。政界においては自民党が分裂(ぶんれつ)し、非自民の8党派による連立政権が誕生、公明党もこれに参画し、複数の大臣を輩出しました(はいしゅつ)。


この時代は長き続きせず、自民党が復権(ふっけん)しますが、その後も保守、革新同居


の自ー社ーさ政権など、混沌(こんとん)とした状況が続きました。


自民との足元はかつてほど盤石(ばんじゃく)ではなく、手堅い(てがたい)連立相手を探していました、そこでバディに選ばれたのが、新党の混乱を経て(へ)、再結集(けっしゅう)していた公明党でした。


かつては自民党と鋭く対立していた公明党ですが、憲法九条改正などを除けば、現実路線の中道政党として政策が重なる部分もあり、今や手を組むことへの抵抗は無くなっていました。


後述する、学会の超強力な選挙動員力によって、安定した議席を確保できるということで、これ以後、公明党は自民党にとって、なくてはならない政権安定剤となり、どれだけ自民党が単独で議席を伸ばしたとしても、ガッチリと組んだ手が離れることはありませんでした。


民主党の躍進により、自民党と一緒に一度下野(げや)したものの、復権以来、10年以上続けて与党の立場を固めています。


このような歩みを進めてきた創価学会ですが、ここからは教団の特徴についてもう少し掘り下げ(ほりさげ)ていきたいと思います。


歴史の中でも触れましたが、創価学会の根底(こんてい)には、仏教と日蓮の教えがあります。


公式HPでも日蓮大聖人(だいしょうにん)の仏法(ぶっぽう)を現代に展開したのが創価学会、と紹介されています。


鎌倉時代の僧、日蓮はお釈家様と、その悟り(さとり)の核心を記した(しる)とされる経典、


法華経(ほけきょう)こそが真実の教えであり、これを絶対的に拠り所(よりどころ)にすることを


説きました(と)。


この日蓮の教えの流れを汲む(く)仏教宗派は、日蓮系仏教とみなされ、創価学会の流れの元となった日蓮正宗も、その一つの宗派です。


破門によって、日蓮系仏教とは無関係の団体となった創価学会ですが、根本的な教義などは重なる部分があり、例えば、『南無妙法法華経なんむみょうほうほけきょう』の題目も唱え(となえ)、


祈ることを信仰の中心としています。


創価学会の活動と密接な関係にある教義が、广宣流布です。これが日蓮が説いた教えに源流がある


ものですが、*广宣流布とは簡単に言えば、*法華経の教えや、その正しさを広めることで、創価学会では、これを日蓮の教えの根本精神として掲げています(かか)


宗教が布教(ふきょう)活動を行うのは、至って普通のことですが、核心の人物である日蓮自身がその意義を明確強調しているのは、特異な点であると言えます。


また、日蓮系仏教の一部では、布教対象を説得するような『折伏(しゃくぶく)』という積極的な布教方法が採られ、歴史パートでもできたように、創価学会でも特に拡大時に強調されていました。


ただ、そうしたアグレッシブな布教活動自体は他の新宗教を含めて行わているわけですが、伝統宗教をも凌ぐ(しのぐ)信者数を得た創価学会は、突出した存在であると言えます。


この背景について、多方面からの研究、分析が行わているとは、言い難い状況ですが、公明党の


得票数などから、都市部において多くの信者を獲得していたという傾向は確認されています。


それを踏まえた仮説(かせつ)として、以下のような分析があります。


戦後の高度経済成長期には、地方農村部から都市部や工業の就籍地代に向けて、大きな人口移動が動き、労働力を供給しました。これらの人々は伝統宗教とは縁遠くなり、また、新天地でコミュニティを持たない人も多くいました。


創価学会の教義で大切になるのは、圧倒的に法華経とそれを説いた日蓮の言行であり、霊の存在や、先祖供養を重視する、伝統仏教や他の宗教とは一線を画す(かくす)部分です。


現実世界において、積極的に他者を関わって生活し、自他共の幸福の実現を目指すという創価学会の考え方は、時代の流れによって、バックボーンを失っていた人々に受け入れられて行った。。。


という話な訳です。


もう一つ、創価学会を知る上で、重要な考え方が、『立正安国』です。


日蓮系以外の伝統仏教では、ひたすら念仏を唱え、極楽浄土(ごくらくじょうど)へいく、あるいは、ひたすら座禅(ざぜん)を組むなどといった個人の領域をフォーカスしている面がありますが、日蓮系の宗派では、個人のみならず、周りの人、さらには、社会、国までもが、法華経を正しく理解した安らかな国作りをする必要があるという発想を持っていて、日蓮自身が鎌倉幕府にこれを訴えかけたという行動に由来しています。


この際に日蓮は、多宗派を邪宗として批判し、これを排除するよう求めたという経緯もあり、言葉の根本的な意味からして、それほど平和的なものではなく、特に学会の拡大期の『折伏』では、徹底した邪宗批判が行われました。


社会からの批判も踏まえてか、現在の創価学会では、当時のような、多宗派への攻撃性を薄れ、『立正安国』の考え方は、自身、他者、社会を、より良い方向に持っていく、というようなニュアンスで重視されているように見えます。


創価学会を語る上で外せないのは選挙です。


先に示した通り、創価学会を支持母体とする公明党は、拡大当初から、地方議会そして国会の議席を獲得し、安定的に議員を輩出し続けています。


創価学会は他に類を見ない圧倒的な投票率を有する、最強選挙集団であり、相当精密な選挙対策や連れ出し投票などの組織力、さらには、非会員への投票呼びかけなど、通常では考えられないような徹底した実践行動がこの力を支えています。


そして、この背景には、先に挙げた*广宣流布、*立正安国などの考え方がると見てとることができます。このパワーは公明党のみならず、連立を組む自民党、特にその中でも支持基盤の弱い地方議員などにとっては、当落に直接的な影響がある程だと言われます。


宗教団体である、創価学会の政治参加は、しばしば政教分離の文脈から批判されることがあります。ただ、そもそも、日本における政教分離とは、主に国が特定の宗教を優遇してはいけない、という話が第一であり、宗教団体の政治参加自体は禁止されていません。

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